バレーボール選手としてパリ五輪に出場した 小野寺太志さん。
実はご両親もバレーボール選手だったそうです。
この記事では小野寺太志さんのご両親や経歴についてまとめていきます!
目次
小野寺太志の父、母は元バレーボール選手
父は元東北校、順天堂大バレー部
小野寺太志さんの父:学さんは、東北高校、順天堂大学のバレー部に所属していました。
身長は186cmあり、順天堂大学時代にはインカレに出場した経験もあります。
小野寺太志さんもお父さんと同じ東北高校に進学しています。
母は元実業団(富士フイルム)
小野寺太志さんの母いく子さんは1981年から89年まで富士フイルムに所属し、主将を務めた経験もありま。
そんなお母さんですが、太志さんがバレーボールをやることには反対していたそうです。
「私自身が両膝を壊したり、結構しんどい思いをしたというか、ハッキリ言えばバレーボールを嫌いになって現役を終わったんです。引退した後は膝がボロボロだったのもあるけれど、完全にバレーとは一線引いちゃった。自分がやるどころか、見るのも嫌だったので、試合も一切見ませんでした」
怪我で現役引退をしたいく子さん。大変さを知っているからこそ息子には同じ思いをさせたくなかったのですね。
小野寺太志の経歴
小学生から中学生までは野球少年
オリンピックでも活躍した小野寺太志さん。ご両親もバレー選手だったので、幼い頃からバレー一筋だったのかと思いきや。小学生から中学3年齢までは野球に没頭していたそうです。
しかし、中学3年時には身長は2m近くまで伸び、ご両親は元バレーボール選手ということで父 学さんの母校の東北高校から年末に行われる全国都道府県対抗中学バレーボール大会へ出場するための宮城県選抜メンバーを選考する合宿に参加しないかと誘いを受けます。
はじめは乗り気ではなかった太志さんですが、お父さんの説得の後、合宿に参加し、見事選抜メンバーに選ばれます。
中学3年生の夏といえば一般的には部活を引退し、高校受験に向けて気持ちを切り替えていく期間ですよね。
その時期にまた新しいスポーツ、ましてや全国レベルの合宿に参加しようとする気持ちがすごいですよね。
東北高校〜東海大学
高校入学後、大志さんが初めて出場した試合は入部してすぐのインターハイ予選でした。
高校入学後にバレーのルールの勉強から始めたという太志さん。
未経験同然の太志さんでしたが、東北高校の育成を大切にする方針のもと、積極的に試合にも起用されていきました。
試合経験を積み、着々と実力をつけていき、U18日本代表に選出されます。
その後東海大学に進学後は日本代表、東京五輪選手に選出されています。
まとめ
中学3年生の夏からバレーボールを始め、3年以内にU18日本代表されているのは本当にびっくりしますよね。
2m超えの高身長や両親がバレーボール選手だったことだけでなく、小野寺太志さんのセンスや努力の賜物なのでしょうね。
経歴を知ると、今後どんな活躍を見せてくれるのかさらに興味が湧いてきますよね!
小野寺太志さんの今後の活躍にも注目していきたいと思います。